経済的自由とは何か
経済的自由とは、働かなくても生活できるだけのお金が入ってくる状態のことです。つまり、生きるために働くということをしなくても大丈夫な状態です。この場合、不労所得とか、配当所得とか、年金所得が該当してきます。
働く必要がない、ということで「経済的自由」という表現になっています。
成功した個人投資家はキャピタルゲインかインカムが大きく、経済的自由を得て生活している人が多く存在します。私の場合はインカムだけでは達成していません。しかし、様々な収入の複線化を図った結果、いつの間にか達成されていました。
経済的自由を得るに至った、月々の収入の内訳
配当所得 約10万
ブログ所得 約10万
所得A 約5万
所得B 約12万
手取り合計 約40万
ぼかしつつも赤裸々に書きますが、このようになりました。ブログを始める前からブログ以外の収入はありました。そのため、最後のパーツを埋めるのがブログだったということになります。この40万という金額は、額面月収よりは少ないですが、手取りの月の所得よりは多いです。
たぱぞうの月々の支出はおよそ30万です。それを考えると比較的余裕をもって経済的自由を迎えたということになります。ただし、その中身は継続性に課題があるものもあるので、暫定ということです。
この中で最も安定的なのは配当収入です。米国株の良いところは減配リスクが比較的低く、増配が基本であるところです。
ブログは右肩上がりですが、運次第なところがあります。そもそも収益目標ならば続きません。収益以上の手間暇をかけていると断言できます。私の全青春を捧げていると言って良いでしょう。いつまで青春なのかな!?というツッコミは無しでお願いします。
所得Aは長くてあと10年ぐらいでしょうか。所得Bはもしかしたら5年かもしれませんし、もしかしたら20年ぐらいかもしれません。読めません。当面、所得Aと所得Bに相当する部分を配当で補てんしていくつもりでやっていきます。
経済的自由を得てわかった3つのこと
経済的自由を得てわかったことが3つあります。
- 本業に余裕をもって取り組める
- 本業収入、配当収入、副業収入のバランスが大事
- 種銭が大きくなると、さらに稼ぎやすくなる
1「本業に余裕をもって取り組める」背水の陣で臨む、がむしゃらにやる。こういう姿勢が20代~30代半ばのころにはありました。残念なことに周囲からはそうは見えなかったようですが。しかし、このごろはすっかり肩の力が抜けて、笑ってばかりいます。
がんばったら成果が残せるというのは仕事に関しては間違いです。相手があってのことだからです。勉強は頑張ったらほぼ確実に成果が残せますが、仕事は違います。ポイントを押さえていないと無駄な努力を積み重ねることになります。
この肩の力の抜けた取り組みが、今のところ功を奏しています。仕事の中身が最前線から調整役に変化したというのもあるかもしれません。
2「本業収入、配当収入、副業収入のバランスが大事」心の余裕に繋がります。例えば、病気で本業を休まなくてはいけない。そういう事態に陥っても、ショックではありますが人生が終わりということではありません。
どのような事態に陥っても、糊口をしのぐことはできる。毛利元就の三本の矢ではありませんが、リスクヘッジとはこういうことだと実感します。
3「種銭が大きくなると、さらに稼ぎやすくなる」100万よりも1000万。1000万よりも1億。これは当たり前ですが、お金の世界はパーセントで動くからです。20代のころには100万円貯めるのに苦労しました。今とは比較になりません。
10代で倹約術を身に付け、20代で投資の基礎知識を身に付ける。30代で効果的な運用と追加投資をするというのが私のやり方でした。
もちろん、10代、20代で海外経験を積んだり、読書にいそしんだり、多くの人に会ったことはかけがえのない財産であり、それも大切な投資であることは言うまでもありません。
内的な自分と外的な自分のバランス
誰でもそうだと思うのですが、私には内的な自分と外的な自分がいます。例えば専業投資家になると、内的な自分の割合が大きくなります。自分と向き合う時間が増えるからです。
これが私の場合はあまり良い結果を生まないかも、という危惧があります。
つまらないことを掘り下げて考えたり、排他的な思考を持ったりしないかということです。明日には明日の風が吹く、という思考の転換は大切です。しかし、専業になると人と接する機会が減りますから、どうしても切り替えがしにくくなる気がします。
もっとも専業になったことがないので分かりませんが、内的な自分にたいする漠然とした不信感があるということです。そういう意味ではすでに専業として投資をしている方のブログは非常に参考になります。それらの人のブログを見ていると、先にあげた心配が杞憂に思えてきます。
外的な自分は快活で冗談好きというところです。あまり深く物事を考えず、へらへらしています。もちろん、合わない人や苦手な人もいます。しかし、おおむね人間が好きというのは間違いないと思っています。
自分を再構成しなくてはならないということの意味
もし、経済的自由を根拠にして生活を作り直すとするならば、自分自身を再構成するということになります。なぜなら、仕事と自分の関係はそれほどに密着しており、ややもすると私自身の個性よりも本業、つまり職業のほうがインパクトが強いからです。
この自分は何者なのか、あるいは何者になれるのかというところにまだ確信がありません。自分を構成しなおすということは魅力半分、畏れ半分です。そんなおこがましい決断はまだまだ私にはできないということです。
今後何年かで生き方やあり方を見つめなおしていきたいところです。経済的自由を得ても何ら生活が変わることはありません、というのがとりあえずの報告です。
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行政の福利厚生を活用するという視点での記事です。地味ですが、生活のインパクトは大きいです。よりよく生きるという発想。