たぱぞうの米国株投資

米国株投資ブログ。某投資顧問のアドバイザー。メディア実績/日経マネー・ヴェリタス・CNBC・ザイなど

私たちに与えられた時間はどのように過ぎていくのか

私たちに与えられた時間は、どのように過ぎていくのか

 セミリタイアをして気づいたことがあります。それは、曜日の感覚がなくなり、同時に時間があっという間に過ぎるということです。

 

 組織で働いていたころは、水曜は中日のちょっとした解放感、金曜は得も言われぬ解放感、そういう過ごし方をしていました。土日休み、カレンダー通りだったからです。解放感が多すぎるのですが、私はそういう人なのです。

 

 金曜日が待ち遠しい、金曜日の解放感が幸せ、そのような生き方だったのかもしれません。それはそれでやりがいがありましたが、時間の流れは特に月曜と火曜においてはゆっくりしていましたね。

 

 月曜日の飲み会などは最悪でした(笑) 

 

 火曜、水曜とぼうっとした頭で過ごしていました。しかし、楽しいことはおかわり自由。誘われれば積極的参加をしていました。いや、なんなら自分で企画することもありましたね。

 

 どうにかこうにか過ごした、あるいはしのいだ金曜日のビールやフットサルは格別です。その時間のために頑張れる。そんなことを思ったころもありました。それはそれで事実なのですね。

 

 また、こんなぼんやりした週ばかりではなく、シャキッと職場のみんなで力を合わせて何かを成し遂げる喜びというものは確かにありました。

 

 しかし、セミリタイア生活も長くなってくると、あのような緊張感と目まぐるしい時間の中で再び過ごすことが難しく感じられてきます。私の場合は独立起業もしていますので、それなりに忙しいにもかかわらずです。

 

 これは、自分で作る仕事と、降ってくる仕事をこなすという性質の違いからくるものかもしれませんね。苦手な仕事や時間のかかる仕事はしなくてよい。それが、今の生活です。全く何もしない生活も考えましたが、まだ社会とのつながりを求めている自分がいますね。

 

 それはそれ、そういう選択の自由も含めてセミリタイアをしたということです。

与えられた時間なのか、自ら作る時間なのかということ

 ところで、時間というのは平等なのですね。誰もが1日24時間で過ごすのです。しかし、寿命は不平等ですね。思いもかけず若年で早世することもあれば、うんと長生きすることもあります。1日が24時間ですぎるのは確実であり、一生が何年続くかは不確実なのです。

 

 寿命はある意味では、性別や遺伝も含めてほとんどプログラムされた運といってよいかもしれません。あとは後天的な生活習慣の積み重ねや突発的な事故などによるものです。

 

 例えば秦の始皇帝などは、その不確実性を変えようと試みましたね。始皇帝に限らず、寿命を恣意的にコントロールをしようとした人は少なくありません。しかし、やはり時間というのは不可逆かつ、ある面では平等なのです。

 

 一日という単位は確実です。24時間です。それに対して寿命は不確実です。何歳まで生きるか、それはパチッとわかるものではないですね。そうとするならば、不確実性の高い寿命を気にするよりは、確実な1日の「質」にこだわりたいところです。

 

 いずれにしても、1日の密度は人それぞれです。やりたいことに寄り添った1日になるのか、やりたくないことをやらされる続ける1日になるのか。それは直接的にしても間接的にしても、自分が決めていることなのです。

与えられた時間をどのように過ごすかということ

与えられた時間をどのように過ごすかということ

 仮に納得のいかない1日が1週間、1か月、1年。あるいは一生続くとなるとどうでしょうか。逆に求めている1日が実現され続けるとどうなるのでしょうか。これは体感時間として大きく変わってくるのですね。

 

 つまり、1日24時間という時間は同じにもかかわらず、時間の過ぎるスピードが全く違って感じられるということです。この理由はシンプルで、受動的な時間か、それとも主体的な時間かどうかで変わるということですね。

 

 少々迂遠な言い回しになりましたが、冒頭触れた1週間の時間の過ぎ方、その体感の違いというのはそういうことです。

納得のいく時間、毎日を過ごしているかどうか

 セミリタイアして驚いたのは、かくも1か月、春夏秋冬、1年というのは過ぎるのが早いのかということですね。私の場合は、組織人時代は降ってくる仕事で忙しくて、主体性が足りていなかったのかもしれませんね。

 

 同時に、このことに気が付かないで年を重ねていたら、どのように時間を振り返ったのでしょう。やはり、セミリタイアに踏み出してよかった、というのが今の感想です。もちろん、逆のパターンもあるでしょう。踏み出さなくてよかった、と振り返るパターンです。

 

 投資は確実性と不確実性のバランスで成り立っています。実は私たちの生活そのものも、このような確実性と不確実性というのは混在しますね。 

 

 いずれにしても、自分のパーソナリティをよく見極め、1日24時間という平等な時間を本当にやりたいことに使っていく。その繰り返しが1日、一生の質を決めていくということですね。

 

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  私は二流、三流でひょうひょうと生きることに注力してきた人です。ひょうひょうと生きることを追求した結果、個人投資家としてやりたいことに注力する日々を手に入れたとも言えますね。逆説的ですが、ひょうひょうとしたほうが仕事の効率は上がりましたね。

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