仕事で一流を目指す生き方は素晴らしいが・・・
日本人の仕事への情熱、プロ意識というのは素晴らしく、個々の意識の高さが今の日本の繁栄を支えてきたことに疑いの余地はありません。
かくいう私も、仕事において一流になりたい、一流を目指したいと20代30代のころは渇望していました。職場の先輩においては関係が近すぎ、理想を見ることはありませんでした。しかし、仕事に関わる自己啓発的な集まりに出ては感動していたものです。
ある時、同じ業界で出版物を何十冊と出されている先輩に会い、非常に感銘を受けました。それがおよそ18年前ということになります。私は人見知りをしませんので、著作を読んで、すぐに連絡を取って会いに行きました。
想像通りの方で、その後も交流が続きました。つい先日もメールのやり取りをしたばかりです。
いわば、私の仕事というのはその先輩の後姿を追ったものだったのかもしれません。私が時々生き方や考え方、ある意味では人としての在り方のようなことを書くのは、その先輩の影響を大きく受けています。
そういう先輩というのは往々にして「色」があります。その先輩の影響を受けるということは、同時に自分自身にもその「色」が付くということです。換言すると職場における自分の立ち位置をはっきりさせるということでもあります。
つまり、組織ではやりにくくなる面もあるということです。その人が業界で著名であればあるほどそうでしょう。アンチもいるからです。また、個性というのは良し悪しで、組織ではあまり必要ありません。
ただ、度々書いているように私の場合は妻を闘病の末亡くしており、父子家庭でした。組織的にいろいろと目指すには労働時間の制限があると難しいこともあり、父子家庭になった瞬間に一切合切吹っ切れてしまいました。それからはその先輩と、ともに何かをすることが非常な喜びとなりました。
例えばセミナーのような仕事に関する勉強会を主催してみたり、一緒に業界の出版物を出してみたりということです。結果的には非常に良い時間をそこでも過ごすことができました。
仕事で一流ではなく、あえて二流三流を目指すという生き方
同時に気づいたことがあります。私はカリスマにはなれないということです。いや、カリスマというと語弊があります。レベルが高すぎます。要は一流の仕事人にはなれないということです。同時に、一流のブロガーにも、一流の投資家にもなれないのです。
どうして断言できるのか。それは、本当に一流とされる人と一緒に仕事をして気づかされたのが大きいです。また、私の性格的、あるいは能力的な面から自覚を促されたと言っても良いでしょう。
最近プライベートで一緒に仕事をしている人に「たぱぞうさんは、上を目指せばもっといろいろできる。でも、近所の楽しい水場で遊んで、水をピューっと飛ばしてどこまで飛ばせたとか、そういうところで満足している。そして水場をあちこち移動している、ゾウさんみたいな人だ」と評されました。
これは言いえて妙で、ずばりそういうことです。「楽しいことはおかわり自由」という世界で生きているのです。がむしゃらに走り続けて成果を求める、そういうのは断捨離したのですね。
皆さんお気づきかもしれませんが、私のツイッターの背景にはそのような思いが込められていたのです。
二流三流なりに平凡を重ねると非凡になるということ
しかし、「一流ではないこと」「凡人であること」それはいけないことではないのです。何ら恥じることはありません。
私に限らず、二流三流の世界で生きている人のほうが多い、つまり私たちの社会というのは私のような多くの凡人で成り立っているのです。
ただ、同時に伝えておきたいことがあります。私の好きな言葉である「平凡を重ねると非凡になる」ということです。
例えば、株の収入が年間200万ある。不動産の収入が年間200万ある。副業の収入が年間200万ある。本業の収入が400万ある。
どれもこれも失礼ながら二流なのかもしれません。しかし、気が付くとこれらの収入を合算すると1000万になります。年収1000万というのは、世間的に見れば悪くないでしょう。いや、1流といってよいのではないでしょうか。
これはお金の話だけでは止まりません。
100%を目指すと、凄まじい労力が必要になります。いや、90%、80%もそうでしょう。ただ、このパーセントを落とすと途端に楽になります。テストを思い浮かべると分かりやすいです。
90点から100点にするのは大変です。しかし、40点から50点、50点から60点、70点というのは効率的に加点できます。努力対効果は大きいと言えるでしょう。
私は仕事人として2流なのかもしれません。あるいは、ブロガーとして、あるいは投資家としても2流3流かもしれません。
でも、それでよいのです。そういう生き方もあるのです。1つの世界ですさまじい努力を払うことは価値があります。しかし、様々な2流3流を集めて1流に近づく。そういう生き方もあるのです。いや、もっと言うと近づく必要さえないのかもしれません。
仕事でなにかあきらめていませんか。人生上手くいかなくて絶望していることはありませんか。でも、イコール仕事をあきらめる、人生に絶望、そうではないのです。興味を広げ、挑戦を続ける限り、私たち凡人にも道は拓けます。
そう、そこには明るい未来が待っているのです。
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