燃え尽き症候群は他人事ではない
燃え尽き症候群という言葉がありますね。仕事や子育てなど何かに必死になり、心や体のエネルギーが乏しくなった状態です。概して、このような時には重大な判断を下したり、急激な生活の変化をするのは良くないですが、どうでしょうか。
また、逆に原因がはっきりしている場合もありますね。その場合はどのように向き合い、付き合っていくのがよいのでしょうか。答えは無いですが、誰もが通る道かもしれません。
さて今日は燃え尽き症候群のような状態になって困る、ということでお問い合わせを頂戴しています。早速、ご質問を紹介します。
燃え尽き症候群のような状態になって困っています
親愛なるたぱぞう様へ
いつも大変お世話になっております。
以前に一度相談させていただいたことがあるものです。
以前に相談させていただいたときは資産5500万程度でしたが、約1億(相場で前後します)に到達しております。その時はVT 4000万、現金1500万の投資相談させていただきました。
いろいろ紆余曲折をへて
- ドル建 VT(3400万),VOO(2000万),EDV(600万)程度
- 円建 eMAISslim 全世界、先進国、新興国など合わせて800万程度(NISA,ideco含む)
- 現金2800万ほどです
まあ、現状でなにも不満、不安、不満足感ないので基本的には全世界の成長を見守る。現金はやや厚めにもつスタイルで自分はいいと感じでます。(VOOとかいれてしましましたが…これはこれで満足してます)
医師なので就職に困ることはないのですが、男性、43歳という年齢にてバイトのみの勤務は世間的にも雇用主的にも今の医療逼迫的にもなかなか厳しく週4日の正社員として働いてます。とはいえ、結局休日出勤などやらなければならない感じです。
もう週3程度のバイトだけでも年収は額面で1000万程度は確保できるので、自分とパートナーとの時間を優先させて、週3回勤務で時間外出勤なしで、限りある時間を自分とパートナーのために使いたいのですが、なかなか難しい現状です。
子供は前妻との間におり現在中3で養育費があと5年 約600万です。今のパートナーとは子供はなしでパートナーも働いており年収80万ぐらい稼いでくれてます。
以前は1億円の目標がありましたが、それもなくなり、以前は臨床勤務医としてバリバリ365日24時間働いてましたが、それもなくなりゆったり過ごしたい今日この頃です。
賃貸住まいで贅沢もあまりしませんので1億5千とか2億とかを目標にする気もせず、むしろ有効なお金の使い方を考える日々です。
医療で患者さんに貢献できるよろこびはありますが、日本特有の届け出の書類の多さ、紙をFAXして同じ内容をメールして同じ内容を入力システムに入力するという日本特有の無駄のお多さ…がもういい加減にしてほしいです。
誰しもこのような気持ちになることはあるかと思います。
たぱぞう様は燃え尽き症候群のようないまいちやる気のない状態のときはどのようにすごされていたでしょうか?
理想的なセミリタイアをされた先輩としてなにか助言、経験談などありましたらお聞きしたいです。
いつも大変興味深い記事を書かれておりますので、是非興味深い話うかがえるとうれしいです。
燃え尽き症候群の原因が分かっているならば、自分に向き合うチャンス
大変な状況での日々の奮闘、頭が下がる思いです。また、後半部分は勤め人時代を思い出し、深く共感をしました。興味深いお話ができるかどうかは別として、話をいたします。
質問者さんは仕事が嫌いなわけではなさそうですね。周辺の付随する調整的な仕事が嫌、過度に忙しいのが嫌、ということですね。勤め人ならば誰も経験すること、かもしれません。
かもしれない、というのは逆に調整的な、事務的な仕事が好きな方もいられるからです。
例えばハンコ文化は、人によっては時代遅れのガラパゴス文化として辟易しますね。
一方で、人によってはこれがないと仕事が進まない、絶対的な保証として尊重していますね。印鑑証明などですね。生体認証など他の手段がいくらでもあるにもかかわらず、やはりハンコなのです。
ハンコはあくまで一つの例ですが、日本の場合は過去の成功体験が文化として残っていることが多々あります。そのため、電子決済なども他国に比べて遅れています。
こうした利便や簡便を度外視した、謎の手続きが溢れている職場環境だと大変です。本来のやりたい仕事が埋もれるからです。全てがそうだとは言いませんが、歴史のある、大きな組織だとそうなりがちです。
私も仕事自体は好きでしたが、この膨大な無駄な時間と次々に生み出される手続きに耐えられず退職に至っています。残された時間は有限であり、今しかできないことがあると考えたのです。
基本的には組織は変わらないのです。組織を変えるならば自分を変えたほうが早い、こういうことです。トップになって変えるという手もあるでしょう。しかし、二つの懸念があります。1つ目はそんなに長く待てないということ、2つ目は長くいれば自分もそれに最適化されるかもしれないということ。特に後者は漠然とした恐れがありました。
多かれ少なかれ、周囲に合わせざるを得ないのが組織であり、これが苦手ならば独立ということになります。しかし、逆境また愛すべしです。自分に向き合うチャンスだからです。
どうして嫌なのか。どうしてモチベーションが湧かないのか。逆にどうしたいのか。もっと大きく言うと、どのように生きたいのか。こうした本質的な問いを自分自身に問いかけるチャンスでもあるのです。
私は、退職前の1年間、「どのように生きたいのか」ということをテーマに、マインドマップを書き続けました。
プラスのイメージ、嬉しいこと、嬉しいもの、嬉しい人。
逆にマイナスのイメージ、嫌なこと、嫌なもの、嫌な人。
やりたいこと、やりたくないこと。
カッコつけずにありのままに綴るのです。特にドロドロとした、心の鬱屈を恥ずかしがらずに綴るのです(笑)
1年近く過ぎて、A4の紙がびっしり埋まりましたね。そしてそれは退職への決断を後押しするものとなりました。
その紙は未だにファイルしてあります。たまに読み返しますが、マイナスのことはほとんど忘れていますね。生活が変わったからです。やりたいことは、半分ぐらい実現されたでしょうか。たまに読み返すのは、今の環境への感謝の気持ちが芽生えるからです。
恐ろしいことに、慣れると今が当然になってしまいます。幸せを感じる力が弱くなるのです。それは逆に不幸です。だから、たまに読み返すのです。
幸せといっても、他愛のないことです。平日の昼間にふらりとジムにいったり、好きなイベントに出かけたり、セブンカフェを飲み、散歩したり。人としてある意味当然の、何でもないようなことです。
「なあんだ、そんなことか(笑)」と思われるかもしれません。
しかし、勤めているとそれができなかったのです。仕事が生活を支配します。これをどう考えるかですね。その仕事がプラスの言葉で満たされていればよいでしょう。そうでないならば、どうするか。
私は人生を貫くテーマがあります。それは、「関わる人の心と財布を豊かに」ということです。
人それぞれの貫くテーマがあるのでしょう。それは、もしかすると何かに不満を抱えている時に思いがけずはっきりとするのかもしれません。私がそうでした。
10年、20年と経ったときに、今をプラスに評価できることを祈っています。
誰のものでもない、誰の人生でもない、たった一度の自分の人生を歩むのです。そこに他人の評価は不要ですね。
人生二度なし。悔いのない日々の実現を求めて、共に頑張りましょうね。
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