経済的な自由を得た後のこと
正確な時期は忘れましたが、私が経済的な自由を得てからおよそ6年以上になります。資産規模も増え、ハードアセットからの収入も安定的です。2010年代の株式の収入も爆発的でしたが、しばらくは落ち着きそうですね。
すべてををひっくるめて法人で管理、事業化しています。何をもって経済的自由といい、何をもって趣味というのか。この境目が無くなっているのが、今のたぱぞうの生活です。
定性的な世界なのか、定量的な世界なのか
私の所属していた組織の話をします。
定性的な世界だった私の組織
業界にもよるのですが、私の属する組織での仕事というのは定量的な判断が難しい世界でした。そのため、何が良くて何が悪いという判断に幅があり、仕事を減らす、働き方改革を組織的に行うというのが難しかったですね。
私もかつて若手のホープ(笑)として期待された時代もありました。私が一番若く、ほかのメンバーがほとんど40代から50代、しかも実績のある50代をサポート役として付けてもらうという環境で、責任者として仕事をしたことがあります。
なかなか難しかったですね。私は基本的に定時に上がり続ける人ですから、定時に上がれるような段取りをして、無駄をなくすわけです。ただ、何をもって無駄とするか、考えを統一するのが難しいわけです。
例えばです。小さな話ですが、どこでもあるような話をします。
「月例報告がA3やB4といった大きな版で出ている。これをA4に統一するだけで、書くほうも読むほうもまとめられていて良い。読んで分からなければ聞いてもらえばいい。だからA4にしませんか。」
こういう提案をしたとします。
これが、50代の実績ある人には受け入れてもらえなかったですね。いや、他のグループもA3だからA3で出したほうがいい。今までこれでやっている。こうなるわけです。プリントアウトしている時点で古いわけですが、そういうことです。
これが勢いのある組織ならば「そもそも月例が形骸化していてあまり読まれていません。やめませんか?」となるのでしょうか。
ともあれ、一事が万事その調子で、結局何も変わらず年配者の意見を聞いて、みんなが納得するように結論を出すという仕事がメインになりましたね。大組織というのは大体こんな感じで回っている部分があるのではないでしょうか。
結局数年経って、殆どA4版で統一されていくわけです。非合理ですからね。あの時の議論は何だったのかということです。組織は急には回らないのです。
誰も読まないものでも必要なものはありますから、そういうのはそれなりに中身を適当にやればいいのですが、そういう発想をする人は多くはありません。ややもすると、誰も読まないものをより複雑化していらん仕事を増やす人もいます。定性的というのはややもすると、判断基準がまちまちなんですね。
みんな若いときには「これはおかしいなぁ」「こうしたらいいのになぁ」という考えを持っています。しかし、それを実行するには経験と力が不足しています。ようやくそれらが備わるのが大組織だと40代ぐらいからでしょうか。うちの組織では50代になってからですね。組織が大きくて古いからです。やはり急には回らないのです。
50代までやりたいことや理想を封印するという人生。人によってはそうなるわけです。また、人によっては慣れすぎて、順化しています。やりたいことや理想を持たない、あるいはほどほどに調整するというのも1つの選択でしょう。1つひとつにあまり疑問を持たない生き方というのは、それはそれでやり方です。
このような、あまり数字が求められない世界だったのを良しとするかどうかは、もう少し時間が経たないと分からないところですね。
定量的な副業はラクだし合理的
副業は全く別です。まず、合意形成をする必要がありません。事業主が必要かそうでないかを判断して、やるかやらないか決めるだけです。
例えば事業主が良いと判断しても、数字、たとえばフィーが上がらなければそれは見当違いだったということで評価が明確です。極めて定量的です。
さらに評価が出なくても、別に自分のやりたいことだったら構わないわけです。例えばコロナ以前に行っていた自主セミナーである、「米国株を語る会」などは収益目的ではないですし、当たり前ですがフィーは出ません。場所代と飲み代、スタッフ費でトントンです。
しかし、異業種の素晴らしい人たちと出会い、交流できるという素晴らしい時間が得られます。だからやりたくなるのです。これも一つの判断基準でしょうね。
副業はアクティビティの判断基準が明確ですね。「無駄な時間」がほとんどないのが私には合っています。
決めた時間に、決めた場所に行って、決めたことをする
組織というのは以下の側面があります。
「決められた時間に、決められた場所に行って、決められたことをする」
決められた時間に決められた場所に行くと、仕事がドサドサ降ってきますね。しかし、考えようによっては、決められた場所に行ってこなすことでサラリーが発生するというのは極めて恵まれています。
また、最大のやりがいは大勢で力を合わせて何かを成し遂げた時でしょう。これは大きな達成感を味わうことができます。人と力を合わせることで、個人ではできないことができることがあるからですね。
誰かが「悲しみは分け合うことで小さくなり、喜びは分け合うことで大きくなる」と言っていましたね。こういうことができている組織は、上手くいっている組織でしょう。
半面、副業はこういう世界です。
「決めた時間に、決めた場所へ行って、決めたことをする」
主体はあくまで自分ですね。自分が決めるのです。
職種や業界によっても変わるので一概にはひとくくりにできません。しかし、自分が何をしている時に楽しいのか、自分の適性は何なのか。こういう日常の自問自答の繰り返しが豊かな人生につながる。そこは全く同じですね。
その生き方を決めるのは他でもない私たち自身ですね。人生というキャンバスに絵を描ける絵師は、自分をおいて他にはいないのです。経済的自由というのは、そういう選択の自由を得るということでもあります。
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