労働生産性の低さは今に始まったことではない
日本の労働生産性の低さは今に始まったことではありません。日本の経済成長が著しかったころも低いままでした。経済が停滞し、スケープゴート的に焦点化され始めているような印象がありますが、そうではありません。
かつて、労働生産性の低さが今ほどあまり問題にならなかったのは、給与が増え続けていたからです。そのころは社会保障負担などの税負担が今よりも軽いものでした。つまり、給与だけでなく最終的な手取りや可処分所得も増え続けるという時代だったのです。
今は給与はほぼ横ばいですが、社会保障費が増大していますから、手取りが減少し続けています。
また、戦前、戦後の暮らしがあまりにひどかったのもプラスに作用しました。人は相対の中で生きていますから、「あの時代に比べればはるかに良い」という限られた比較対象からくる幸福感が、生産性の低さを覆い隠していました。
関連して昔は長時間労働やパワハラなどがさほど問題にならなかったとも言えます。
そもそも、労働生産性とはシンプルです。
- 労働生産性=GDP/(就業者数×労働時間)
で表されます。人口も多く、労働時間も長い、そういう日本の事情が労働生産性を伝統的に下げていると言ってよいでしょう。
http://www.jpc-net.jp/intl_comparison/intl_comparison_2016R2.pdf
この表を見ても分かるように、OECD加盟国における労働生産性の順位変遷を見ても日本だけが20位前後で安定しているのが見て取れます。日本は人口増加期を過ぎていますから、このままだと国力が衰え、労働生産性を高めないと世界における経済的な地位は下がる一方でしょう。
日本人が日本人であるだけで殆どの人が豊かな暮らしができる時代は過ぎ去りつつあり、労働生産性に限らず、1人ひとりの能力が暮らしの豊かさに直結する時代を迎えつつあると言えます。
イメージとしては、開発途上国における貧富の格差に近いでしょうか。
労働生産性と企業不祥事
神戸製鋼が検査のデータを改ざんして出荷した問題で窮地に陥っています。神戸製鋼に限らず、社内のチェック機能が働かない企業は枚挙にいとまがありません。
記憶に新しいところだと、東芝の会計不祥事がそうでしょう。日産自動車の無資格検査もそうでしょう。また、日産の傘下に入った三菱自動車の燃費データ改ざんということもありました。
結局のところ、外面的に欧米的な経営手法を取り入れようとしていますが、内面の労働観が全く変わらないのです。つまり、欧米的な数字にとらわれ、その数字を要求しても内部改革がないので現場に単なる負担として降りてくるということです。
必死に数字を作ろうとした結果の1つがデータ改ざん、不正として表出しています。
私も日本の組織で働いているので実感として分かりますが、おそらくこういう数字合わせは大なり小なりどの職場でもあります。そして数々降りてくる調査や目標があります。これらを適当に慣例に従って、とりあえず埋めておくというのは、どこでも見られる光景ではないでしょうか。
つまり、生産性の低さ、品質の低さをどうにかしようと現場が苦慮し、数字を作った結果がこれらの不祥事という一面があります。経営サイドと現場サイドの感覚の乖離があり、場合によっては全く現場を知らずに経営サイドは数字を作ろうとします。
本来、経営と現場の間を埋めるものとしてそこには直截な対話があり、情報交換があるはずです。しかし、「空気を読む」という私たち独特の良識がそれを良しとしません。
日本の企業のほとんどが同質の問題を内包していますから、今後もこの種の不祥事は続くであろうことが容易に想像できます。いや、もっと多くの不祥事が出てくる可能性さえもあります。
労働生産性と歴史、知識集約型産業を持つ国
では、品質を維持し、なおかつ生産性を高めるためにはどうすればよいのでしょうか。
- 労働生産性=GDP/(就業者数×労働時間)
再掲しますが、労働生産性とはこういうことです。就業者数の減少に伴って労働時間を増やしては意味がないのです。就業者数を減らしつつ、労働時間も減らす。そしてGDPの減少幅を小さくする。これが実現して初めて生産性が上がります。
ただ、問題は簡単ではありません。なぜ、米国やヨーロッパの大国、あるいは立地に恵まれた小国ばかりが生産性が高いのでしょうか。後からOECDに加入した東欧諸国や新興工業国は低いままです。アジアもそうでしょう。
遅れてOECDに加盟した国や日本が特別に劣る理由があるのでしょうか。
これは、1つに歴史が関係しています。詳述はしませんが、依然として旧植民地、宗主国の関係は強く、富を吸い上げる仕組みはいまだに生きています。また、立地と条件に恵まれた都市住民が多い小国も知識集約的な産業で強みがあります。
立地と条件に恵まれた、というのは人口の多い経済大国に隣接する、都市国家的側面を持つ小国です。
日本はそういう意味ではさほど恵まれていません。こうした状況の中、労働生産性を上げるというのは言葉で言うほど簡単ではないことが分かります。また、私たちの合意形成にかけるエネルギー、つまり無駄な会議の多さも生産性を低くする原因の1つです。
私たちは私たちの暮らしをより良くするために、そしてゆとりをもって生活するために、労働観と収入のあり方を考え直す時期に来ていることは間違いありません。ただ、その道のりは極めて厳しいと思わざるを得ません。
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