勉強が苦手でやんちゃな長男と器用な次男
うちには2人の子どもがいます。今は長男は中学生、次男は小学生低学年です。前妻が寝たきり状態になった時に、私と子どもたちで家事を分担し、死ぬ思いをしながら危機を乗り切ってきました。
倒れた時、上が就学前、下が1歳でした。多忙すぎて、大げさではなく本当に死ぬかと思いました。死にませんでしたが。
そのため、私は子どもとは心の奥底では言いしれない絆を感じています。いわば、戦友のようなものです。いささか大袈裟で、一方的なものかもしれません(笑)
その苦労を共にした長男はわりとやんちゃです。表面上は地味に振舞っていますが、いろいろな問題を起こしてくれました。学校から呼び出されることも何度かありましたね。それでも、最近は落ち着いています。中学校に入り部活を始め、運動で心が真っすぐになりつつあります。
次男もやんちゃで、ふざけるのが好きです。しかし長男と違い、学校から呼び出されるようなやんちゃはしません。天然で口が悪く、態度が大きいので誤解を招きます。
2人ともちょっと世話が焼けるのは、私がわりとやんちゃだったせいでしょうか。しょうがないですね。カエルの子はカエルということです。大きな期待はせずに育てています。人はなるようにしかならないのです。
勉強が苦手な長男の気質
長男はなぜか近現代の戦史に興味があります。大戦時の飛行機の形や船の形を見て瞬時に名前を言い当てることができます。面白いのは、旧日本軍も嫌いではないですが、米軍や世界の戦史により詳しいところですね。
ニュースを見ていても、AKという自動小銃が映像で出るとその派生型などを当てる不思議な能力を持っています。
また、現代の飛行機も好きです。ドアの位置や翼の形状などで機種名を正確に当てることができます。ボーイングとかエアバスですね。まさに誰得の知識です。
だからでしょうか。興味のないことは全くやらないという私に似た気質があります。そのため、それだけ不要なことを覚える力がありながら、成績は中ぐらいです。しかし、冗談のセンスはなかなかです。これは中の上くらいです。
わりと器用な次男の気質
次男はやんちゃで、記憶力が良いです。トランプの神経衰弱が得意で、私も長男も歯が立ちません。圧倒的な強さで、神経衰弱を保育園で覚えてきたときから家族内では負けなしです。学校の成績もよく、なかなか光るものがあります。
しかし、良くないのは自分で成績がよいことを自覚しており、時々鼻持ちならないマウンティングをするところです。どんなに賢くても、謙虚でなくては人に好かれません。人に好かれなければ、社会的に生き抜くことはできません。今は親としてそれを伝えています。もちろん自分のことは棚に上げてですが。
首都圏郊外のささやかな暮らしの中でのことです。成績が良いといっても知れているのです。まさに「井の中の蛙大海を知らず」ですね。しかし、そのことを知らないのも悪くはないのでしょう。人生には「知らない幸せ」というのはありますからね。
誰にも負けない何かをつくるということ
なかなか情熱が学習に向かなかった長男ですが、この頃変わってきました。たぱ家はテレビをあまり見ません。代わりに、週末はアマゾンプライムで洋画をよく見ます。また、私が洋楽が好きなせいもあり、クルマではいつも洋楽を聞いています。
私が海外にいた時の話をしたり、私の海外時代の友人が家に訪ねてきたりすることもあります。そういうのが刺激になったのでしょうか。長男は英語の勉強だけはしています。
先日、テストが返ってきました。英語だけが良く、クラスで2位、塾で5位と微妙な順位なのですが、ほかの教科よりは突出していました。ここで、長男自ら反省していました。
「ああ、英語だけじゃなくて他もやればよかった」
「そうかな?」と私は思いました。人の持つ能力は限られています。もし、特別な能力が無いならば。学習に興味が持てないならば。どうやって生きていけばよいのでしょうか。
今まで長男は得意教科が無かったので、これを言うのは酷かなと思って避けてきた言葉があります。
誰にも負けない、圧倒的に得意なものをつくる
そこで私は言いました。
「誰にも負けない、圧倒的に得意な教科をつくるといい」
ということです。思うに、日本の教育は万能を求める色が強いですね。能力ある人にとっては学校教育レベルなどは造作もないことでしょう。しかし、限られた能力の人がよりよい人生を求めるならば、一点突破というのも合理性があると思うのです。
大事なのは、何をしたいのか見極めて、そのための努力を惜しまないことですね。そういう意味では、仕事も同じですし、人生の目標も同じです。漠然と日常を過ごしていたら、人生も日常も変えることはできないのです。日々同じ朝がやってくるだけです。
変えたい自分がいるならば。変えたい日常があるならば。そのための努力をしなくてはいけません。独りよがりではない、客観的な合理性のある努力を積み重ねる必要があります。
「私はこんなに頑張っているのに」という話を聞くことがあります。頑張っているのに成果が出ないのは努力の方向性が間違っていることが多いですね。世の中には「無駄な努力」というのが厳然としてあります。
努力の方向性が正しく、そして能力が突き抜けた時には、人と比べることの無意味さを悟るのではないでしょうか。その時に、「誰にも負けない」という相対的な言葉は取れるのでしょう。
正解は無いですし、将来を正確に当てることもできません。親として何を伝えて、伸ばすのか。日々葛藤しています。しかし、投資と一緒で答えがないから面白いのでしょうね。親としてはただただ幸せを祈っています。
子育てに答えなし。なかなか難しいですね。
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教育の関連記事と言えば、金融教育です。勉強だけでなんとかなる時代は終わりつつあり、働きつつ副収入をどのように確保していくのか。これは大きなテーマになりつつあります。
とにかく収入が限られる時代ですから、教育費の増大は頭が痛いですね。特に高等教育以後がすさまじいです。
まあ、思いつめると大変なので、要領よくこういう迂回路もあると良いですね。無理しないということです。