たぱぞうの米国株投資

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よい生活とはどのような生活なのか、改めて考える

よい生活のイメージが多様化したということ

 困難な時代を生き抜くにあたって、私たちが手に入れるべき道具は何でしょうか。一昔前は、勉強が手っ取り早いツールになっていました。

 

 勉強が特別に好きである人は別です。そういう人の場合は、言葉の意味としては学習になるのでしょうか。むしろ趣味といってよいでしょう。

 

 特別に勉強が好きではないほとんどの人は学歴であったり、資格であったり、自分の価値を高めるために勉強を行ってきたのではないでしょうか。

 

 しかし、1998年前後の就職氷河期ぐらいから様相が一変します。学歴を手に入れたからと言って、良い仕事につけるわけではない傾向が強まってきました。リーマンショック時でもそうですね。

 

 高度成長期であれば、学歴を手に入れれば殆どイコールで安定した生活を手に入れることができました。しかし、そうもいかなくなってきたのです。

 

 私が開発途上国で仕事をしていた時に、かつて国費留学生だった人と話をしたことがあります。非常に印象に残っている言葉があります。

 

 「私は祖国を代表して日本に留学をしました。一番驚いたのが、日本人は日本人であるだけで国を代表する私よりも、みんなが豊かだったことです。」

 

 どんな職種であっても、どんな学歴であっても、日本人であるというだけで国を代表するほど優秀な国費留学生よりも豊かさを享受できた時代が確かにあったのです。

 

 2003年ごろの話です。そのころに比べるとその開発途上国もかなり一人当たりGDPが伸びました。また、そのころ世界を席巻した日本の家電や車も中韓をはじめとする国々とパイを分け合うようになってきました。

 

 私たち日本人が日本人であるだけで豊かになれる時代は終焉しつつあるということです。個人の能力が以前よりも平等に人生に作用するようになってきたとも言えるでしょう。グローバリゼーションの進展とは、そういうことなのですね。国よりも個人なのです。

 

 同時に、以前のように勉強をがんばって、学歴さえ手に入れればよい就職ができ、安定が同時に獲得できるという、分かりやすいモデルが崩壊しつつあることを意味します。

「学歴=大企業=幸せ」ではない時代がやってきた

 大学にはかなり入りやすくなっています。1流とされる大学でも、かなりの数の学生を推薦で取るようになっています。反面、就職は楽ではありません。少子化で入り口は広くなりましたが、出口は狭くなっています。

 

 また、社会的に有名で大きな企業ほど、仕事内容は細分化し、煩雑化しています。例えば個人情報の扱いなど以前に比べると雲泥です。こういった煩雑化は枚挙にいとまがありません。

 

 法律や条例は積み上げられるもので、年々細かく、種類も増えるからです。つまり過去よりも現在、現在よりも未来のほうが忙しくなるのが自然な流れということです。日本人の几帳面さが仇となり、多忙化に歯止めがかかることはありません。そして業務手続きやビジネス慣習がガラパゴス化していきます。印鑑やFAXなどは一つの典型でしょう。

 

 また、業界の競争が国内だけでなく国際的になっています。これは労働環境としてはより厳しくなることを意味します。たとえば賃金競争があります。コモディティ化が激しい商品だと、周辺国に合わせて賃金を下げざるを得ません。

 

 これらのことから、無理して大学へ行って、無理して大企業に就職する意味というのは薄れてきているように思います。逆にそれほどの能力があるならば、どのように人生を過ごす選択が他にあるのでしょうか。 

地域で生まれ、地域で生きるという生き方

 地域で生まれ、地域で生きるという方法があります。

  1. 地域の大学へ進学し、県庁や役所に就職する
  2. 地域の大学へ進学し、地域のホワイト企業に就職する
  3. 地域の工業高校へ進学し、地域のホワイト企業に就職する

 

 九州、四国、東北、北海道といった地域は慢性的な就職難です。しかし、東京の周辺県である埼玉、千葉、神奈川などはまだまだ求人があります。大阪市、神戸市、京都市の周辺も状況は似ています。

 

 そういう大都市周辺ならばさほど物価が高くなく、地方の良さが享受できます。市営プールやテニスコート、ジム、図書館など行政による福利厚生は納税者としてしっかり享受したいものです。

 

 そうしたところのちょっとした田舎の県庁や市役所はそこそこやりがいもあり、安定しています。もちろん警察や消防も含まれます。

困難な時代を生き抜くには何を優先すべきか

困難な時代を生き抜くには何を優先すべきか

 また、地域には決してつぶれないと思われるホワイト企業が意外とあります。例えば電力やガスなどのインフラ系の現業職は地域密着で異動が少なく、なおかつ組合もしっかりしています。

 

 高校からそういった将来を見据え、現業狙いの学校を選ぶのも手です。商業高校は文系大学生と就職で競合するので難しい面もあります。それでも、簿記を極めたり、まれに公認会計士に合格する生徒もいますね。

 

 工業高校は大卒と比較的棲み分けがはっきりしており、就職も強いです。工業高校トップ層の就職先は素晴らしい地場企業が揃っています。中途半端な私立文系の大学出よりもよほど恵まれていると言って良いでしょう。 

人生二度なし、よい生活の定義は自分で決める

 自分がどのように生きたいのかを描いて、そのために努力を積み上げていくことが以前にも増して大事になっています。それは米国株投資をはじめとする投資行動にも似たところがあります。努力はただすればよいのではなく、最小の努力で最大の効果をあげるという発想があってもよいでしょう。

 

 いずれにしても、どのような生活をしたいのかを見据え、努力を積み重ねるという意味においては投資も似たところがありますね。大学に行けば、大企業に入れば生活が担保されるという時代は過ぎ去りつつあるということですね。

 

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