世間はしばしば間違えるとは
世間はしばしば間違えます。その間違いは悪意に基づくものではなく、むしろ善意です。もう少し具体的に言うと、親や先輩など人生の先達、友人や同僚の助言です。ありがたいことですが、変化の激しい時代を私たちは生きています。そのため、間違っていることがあります。
つまり、助言は助言であるということです。自分で消化する必要があります。ずばり、自分はどのように生きたいのか、それに沿った助言や常識か、ということです。この答えは与えられるものではなく、見つけるものです。
そのために自ら考え、行動する資質を身に着けておくこと、これこそが困難な時代を生き抜く力であると言えるでしょう。答えのない時代を生きるのは簡単ではありませんが、不確実性というのは得も言われぬ面白みもあるのです。
とはいえ、そんなに大きな話でもありません。取るに足りないような話です。例えば、私が若いころの軽めの常識をいくつか列挙してみましょう。
- 学習を重ね、良い大学、大きな企業に入る
- 貯金をする
- 良いクルマ、良い家を買う
- 仕事は真面目に一生懸命
- 早寝早起き朝ごはん
間違いないのは早寝早起き朝ごはんですが、あとの4つはケースバイケースですね。
今や良い大学、大きな企業は必ずしも豊かな人生を担保しなくなりました。
大学進学に注ぐリソースと、リターンの関係はよく考えなくてはいけません。何の資格も優位性も得られない大学学部に進学するならば特にそうです。これは2人の息子にもよく話してきました。
企業規模が大きくてもコピー可能なビジネスモデルは永続性に致命的な欠陥を抱えます。変化の激しい時代を生きるというのはそういうことですね。陳腐化のスピードが早いのです。
貯金はどうでしょうか。私は初任給で全力株式投資をしましたが、当時そんな人は周りに一人もおらず、誰も肯定しませんでしたね。しかし、通貨は減価するという原理原則に基づくならば、時間的に有利な若者が投資するのは資本主義の常識です。逆に言うと、世間は資本主義の常識を知らなかったわけです。
良いクルマ、良い家、というのもそうです。フェラーリなどを除けば、殆ど償却する資産です。つまり、経年で価値がゼロになる資産がほとんどだということです。私の同年代の友人も、20代で勤労所得を車に費やしてきた人が少なくありませんでした。それが1つのベンチマークのようなところがありましたね。
私は自分の能力に関係ないクルマに投資することは避け、自分を変えられる筋トレが好みでしたね。筋肉はやるだけ増えます。なおかつ、能力値が目に見えて伸びるのが納得感がありましたね。そのころはジムが少なかったですが、昨今では激増し、これも新たな常識となった感があります。
今は旧車が流行っています。「昔好きだった車を買っておけばよかった」という話も聞きます。しかし、投資目線に限るならばベストではありません。リターンが小さすぎます。同時期に株を買っていれば、もっと大きなリターンがありました。
しかし、好きを貫き商売にした人もいます。そうなると話は別ですね。好きなことを通して自分の能力を上げたとも言えます。
また、好立地のマンションは2倍3倍が珍しくありません。住んでいてなおかつ価値が上昇するのは、めでたいことです。しかし、現金で買っているならば、やはり他のアセットのほうが優位性があります。不動産の優位性はレバレッジにあるのです。特に今のような高値かつ低金利ではその一点に尽きると言って良いでしょう。
3等地、4等地の建物は殆ど価値がゼロになっています。
仕事は、、、どうでしょうね。これはまた別の機会にしましょう。
何が言いたいのか。答えを言いたいわけではもちろんありません。投資をしようという話でもありません。ましてや筋トレをしようという話でもありません。
例えば田舎にログハウスを建て、減価する建物の家に住むことは価値が無いのでしょうか。投資をせずに貯金にせっせと励むのは間違いでしょうか。車の無い生活が最適解でしょうか。
一概には言えませんね。人それぞれの生き方やあり方があるのです。
最初に書いた通り、伝えたいのは世間はしばしば間違えるということです。つまり、今世間で言われている常識や善意は「自分にとって最適なのか」ということです。大事なことは、自ら考え、行動するということです。
私の場合は、就職した瞬間にぼんやりと50歳で退職すると思い描いていました。また、定量的な評価が予想できる生涯獲得年収で推しはかれることにつまらなさを感じていました。
この現実と理想を埋めるのに必要だったのが投資です。だから今があります。たとえ間違ったとしても、自分で決めた道ならば後悔はないですね。全てを手に入れることは昔の自分は難しかったのです。能力が限られていましたからね。
人生二度なしというのは、そういうことでもあります。周りに合わせることで自分も幸せになれる時代はとうに終わったのですね。それに気づいているかいないか、ということです。
さて。やや話が散漫になりましたが、今回は応援メールをいただきましたのでご紹介します。
生き方、あり方についての考え方には深く共感いたします。
たぱぞう様
毎日拝読しています。私は47歳、投資歴8年の会社員です。
たぱぞう様の著書で投資の勉強を始め、楽天VTI、slim s&p500にフルスイングを続け、相場にも恵まれ、ようやくそれなりの額に育ってきました。
国内株の騰落に指をくわえながらも自身の投資方針に迷いはなく、今後も長く続けていく予定です。
また、短い投資歴ながらもコロナショックや2022年のような相場を経験できたことはいい経験だと思っています。
たぱぞう様の解りやすく、心地よい文章であることはもちろんですが、生き方、あり方についての考え方には深く共感いたします。
そして、「中庸」という言葉でも表されていますが、偏らない、固執しない、物事のバランス感覚や、時勢を冷静に見極め、社会構造を理解し、適切に行動するという考え方については特に共感するところです。
普遍的でありながらも、これからの激動の時代を生きる上で益々重要になる考え方でしょう。
私には妻と3人の子ども(9歳、6歳、3歳)がいます。このブログは将来子ども達にも読んでほしいものです。自ら考え、自分の人生を自分でつくってほしいからです。それはこのブログの本旨であると理解しております。
子ども達が投資を始め、このブログの内容が理解できる歳まで、たぱぞう様にはブログ活動を続けていただきたいです(笑)。
特に質問事項があるわけでもなく、人任せで勝手なお願いをしてしまいましたが、最近ブログを見直しているうちに私の考えをまとめ、お伝えしたくなりご連絡させていただいた次第です。
今後もたぱぞう様の益々のご活躍とともに、穏やかに過ごされることをお祈り申し上げます。
時代閉塞の現状を生きるということ
仰る通り、次代を担う子どもたちにより良い生き方を選択してほしいですね。時代に閉塞感があるのは事実ですが、将来が見えていれば、それが分かっているならば対策を立てればよいのですね。
極端に走らず、中庸に、ほどよく生きるということは大事だと思います。
何か答えがあるわけでなく、何年か経てば私が記した成果物も陳腐化していることもあるのでしょう。書籍やブログなどですね。不易と流行とはそういうことですね。しかし、恐れることはないですね。日々、考え、修正すればよいのです。
しなやかに生きる、どのような時代にあってもそうありたいと願っています。
共に頑張りましょうね。励ましのメール、ありがとうございました。
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